本尊毘沙門天、寺院名多聞寺つまり多聞天なら寺院名は本尊から来たのかもしれませんね。16世紀中ごろに創建された高野山真言宗の寺院です。境内の鐘楼は変わったお堂です。
矢掛駅から徒歩10分。 1533年創建の高野山真言宗の寺院。本尊は毘沙門天。1692年に現在地に移転。現本堂は1815年の再建。 山門近くには、どことなくネパールの仏教寺院を思わせるデザイン・色合いの「合掌の鐘」と名付けられた鐘楼がある。また本堂脇にはぼけ封じの楽寿観音菩薩が立っている。 ちなみに、こちらの住職は写真家でもあり、副住職は落語家でもあるそうである。
境内の椿の大木が花を落として地面が真っ赤に染まっている…幻想的ですらある景観でした。ここは高野山真言宗の毘沙門天を本尊とする寺院で、開山は1533年と寺社の中ではまだ「新しい」部類に属する寺院です。1815年に造られた現在の本堂は他の寺院にはない特徴があり、一時「矢掛町役場」としても使用されていた歴史がある。
大昔に法事で行ったことがあるのですが、周辺が当時とは大きく発展していました。天文二年精良上人により開創され元禄五年から当地に移転した由緒あるお寺で、カラフルな合掌の鐘や大規模な水子供養の地蔵、ぼけ封じの楽寿観世音、等他のお寺では見る事ができないものが見られ、特に、今後心配なぼけ封じ観音には丁寧に拝んできました。
旧矢掛宿に程近い高野山真言宗寺院です。かなり大きな寺院で本堂の側には絵馬も掲げられていました。境内で最も目立つのが派手な色合いの合掌の鐘の建物です。
不思議な鐘楼です
本尊毘沙門天、寺院名多聞寺つまり多聞天なら寺院名は本尊から来たのかもしれませんね。16世紀中ごろに創建された高野山真言宗の寺院です。境内の鐘楼は変わったお堂です。
住職は写真家、副住職は落語家
矢掛駅から徒歩10分。 1533年創建の高野山真言宗の寺院。本尊は毘沙門天。1692年に現在地に移転。現本堂は1815年の再建。 山門近くには、どことなくネパールの仏教寺院を思わせるデザイン・色合いの「合掌の鐘」と名付けられた鐘楼がある。また本堂脇にはぼけ封じの楽寿観音菩薩が立っている。 ちなみに、こちらの住職は写真家でもあり、副住職は落語家でもあるそうである。
参拝した季節が良かったのか・・・素晴らしい光景を目の当たりにしました・・・
境内の椿の大木が花を落として地面が真っ赤に染まっている…幻想的ですらある景観でした。ここは高野山真言宗の毘沙門天を本尊とする寺院で、開山は1533年と寺社の中ではまだ「新しい」部類に属する寺院です。1815年に造られた現在の本堂は他の寺院にはない特徴があり、一時「矢掛町役場」としても使用されていた歴史がある。
歴史を感じるおおきなお寺
大昔に法事で行ったことがあるのですが、周辺が当時とは大きく発展していました。天文二年精良上人により開創され元禄五年から当地に移転した由緒あるお寺で、カラフルな合掌の鐘や大規模な水子供養の地蔵、ぼけ封じの楽寿観世音、等他のお寺では見る事ができないものが見られ、特に、今後心配なぼけ封じ観音には丁寧に拝んできました。
高野山真言宗の寺院
旧矢掛宿に程近い高野山真言宗寺院です。かなり大きな寺院で本堂の側には絵馬も掲げられていました。境内で最も目立つのが派手な色合いの合掌の鐘の建物です。